2018年10月27日、念願の信州善光寺を訪れました。
紅葉が見頃のようなのでそれを楽しみながら、南無阿弥陀仏と念仏を唱えにいきました。
一生に一度は善光寺詣りという言葉がある通りに、一度は善光寺に訪れたかったお寺です。
普段から念仏を唱えていますが、善光寺の阿弥陀さんに会って念仏を唱えてみたいと思ってました。
同時に、いろいろな善光寺の風景を木々の紅葉を交えながら撮影することができました。
さて、今回訪れた一光三尊阿弥陀如来がご本尊の信州善光寺はどんな感じのお寺だったのか、お話をして行きたいと思います。
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信州善光寺について
信州善光寺は、無宗派で天台宗の大勧進と25院、浄土宗の大本願と14坊により運営されているお寺です。
宗派がないというよりは、天台宗の誰もが平等に悟ることができる教えと、浄土宗の誰もが平等に往生できる教えを元に、平等に誰もが楽しく訪れることができるお寺と感じました。
善光寺のご本尊は、一光三尊阿弥陀如来像です。
真ん中に阿弥陀如来がいて、両脇侍は観音菩薩と勢至菩薩がいて、それら三尊の背後全体を大きな1枚の舟形の光背でおおっている形を一光三尊といいます。
江戸時代には、一生に一度は善光寺詣りと多くの人が訪れ、念仏を唱えて皆平等に極楽浄土へ導いてくださるお寺として知られていました。
山梨県甲府市には、信州善光寺の本堂と瓜二つの甲斐善光寺があります。
武田信玄が川中島の合戦が長引くことで信州善光寺に被害が及ぶのを恐れて、信州善光寺丸ごと全部を、甲斐善光寺に移しました。
それが甲斐善光寺です。
甲斐善光寺の正式名は、定額山浄智院善光寺(じょうがくざんじょうちいんぜんこうじ)といい、浄土宗のお寺です。
お寺好きにとっては、信州善光寺も甲斐善光寺も何度も訪れたいお寺です。
紅葉を楽しみながら善光寺の撮影をしてみた
自分が住んでいるところは埼玉県ですが、長野県は紅葉が見頃ということで今回訪れてみました。
せっかくなので、阿弥陀さんに念仏を唱えるために信州の善光寺も訪れました。
早速、善光寺の駐車場に車を止めたら、すぐ近くが紅葉していました。
やはり、関東の紅葉とは一味違う感じがします。
車を停めた場所は、本堂のすぐ裏側なってしまったので、わざわざお寺の参道入口まで戻って、そこから善光寺の本堂に向かうことにしました。
進行方向の左手に、浄土宗本坊の大本願が見えて来ました。
大本願という文字に心が高鳴ります。
阿弥陀さんの本願力を連想するからです。
少し進むと、右手に宿坊が連なっている一角に、親鸞さんが100日滞在した堂照坊がありました。
念仏を唱えに来ただけでなく、親鸞さんが滞在した一緒の場所に立ちたかったのも今回の楽しみの一つです。
堂照坊から少し歩くと仁王門に着きます。
仁王さんの二人ともとてつもなく大きく迫力がありました。
何百とお寺を訪れていますが、こんなに威圧感のある仁王像は初めてです。
仁王門で合唱一礼してくぐると、仲見世通りに出ます。
善光寺の仲見世通りは、写真映えする場所でいつまでも写真を撮っていたかったです。
少し脇道に入ると金ピカの釈迦堂がありました。
南無釈迦牟尼仏。
ほとんど誰も読まないであろう、定書きの札の内容を読んで先を急ぎます。
ちょっと進んで、右手に六地蔵が並んで座っていました。
未だに何地蔵か名前を覚えられないでいます。
南無地蔵菩薩。
やっと三門の場所まで、やって来ました。
正式には三解脱門(さんげだつもん)。仏の国へ通ずる入口に着きました。
三門で合唱一礼して進み、ようやく本堂にたどり着きました。
合唱一礼してから本堂に入りました。
阿弥陀さんに南無阿弥陀仏と念仏を唱えてから、一寸先も見えない暗闇の中を手探りで進むお戒壇巡りをしました。
本当に真っ暗で、壁を触る自分の手だけが位置を知ることができる唯一の手段。
極楽往生を約束をいただける錠前に触ることができなかったです。
が、暗闇の中で何も見えず無心になり、自分中心または我執(がしゅう)から離れた時間を過ごせました。
とても気になるのが寺紋の立葵です。
徳川氏の家臣にもなっていた本多氏の家紋です。
表参道のアップルストアの裏側にある東京都港区青山の南命山無量寿院善光寺の寺紋も立葵。
埼玉県新座市にある太平山法台寺の寺紋も立葵です。
法台寺の檀家さんに本多さんがいるようです。
話を戻して、本堂から見た紅葉の景色です。
常夜灯がたくさん並んでお寺の紅葉を演出してくれてます。
紅葉の中に囲まれる日本忠霊殿。
鐘楼の周りも紅葉しています。
大勧進の中にある不動堂の近くもいい感じに紅葉してました。
こんな素晴らしい紅葉が見れたので、遠い長野にある信州善光寺に来てよかったです。
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大勧進と大本願そして念仏
天台宗の大勧進と浄土宗の大本願は、おのおのの本坊の名称になっています。
それらは、ちゃんと意味があります。
勧進は、人々を仏道に導き入れ、善行に向かわせることを意味しています。
そして本願は、阿弥陀如来の本願を意味しています。
大勧進と大本願の文字を見たときに、心が高鳴りました。
次に念仏ですが、家の宗派が浄土真宗本願寺派で、通った幼稚園が浄土宗で阿弥陀さんと昔からご縁がありました。
念仏を唱えることは、ここ3、4年と比較的最近です。
なぜ念仏を唱えるかというと、自分勝手で自分中心な自分を捨てるためです。
愚者、凡夫、そして悪人という言葉がありますが、いずれも煩悩の塊の愚かな存在を意味します。
それを自覚し、念仏を唱えて阿弥陀如来の本願力、つまり他力本願をよりどころにすることです。
実は、自分から往生を願ったり、自分から信じたりということはせず、ただ念仏しています。
それは、自分が都合いいことばかり思うことは、阿弥陀如来の本願を疑っているように思うからです。
阿弥陀さんを大切にしていますが、宗派関係なくいろいろなお寺に行って、いろいろな教えを吸収して、お寺の写真を撮っていきたいと思います。
信州善光寺のまとめ
今回は、念願の信州善光寺を紅葉の時期に訪れることができました。
善光寺で阿弥陀さんに念仏を唱えることは、とても楽しみにしていました。
前もって、善光寺やその周辺のことを調べる時間がなかったため、いろいろ歩いてカメラで写真を撮ることができなかった感じです。
次回は、朝から夕方まで善光寺やその周辺を訪れる時間を作りたいと思います。
一方、カメラの話になりますが、今回はNikon D810で信州善光寺を撮影しました。
ニコンのカメラは、お寺の撮影には相性がいいのです。
長い年月を感じさせる本堂の古びた柱や、雨風にさらされた瓦など深みを持った写真を写すことができます。
今回の撮影には、広角ズームレンズを使うことはありませんでしたが、お寺の撮影には広角ズームレンズを持っていくと撮影がしやすいことがあります。
次は、新緑の時期にまた信州善光寺を訪れてみたいと思います。