妙法寺 仁王門

杉並高円寺の寺町をゆく 後編

 今回は以前の記事、杉並高円寺の寺町をゆく前編の続きの後編になります。前編だけでも、いろいろな寺院を訪れて撮影してきました。今回のブログで、記事の中で書いていない寺院もあります。報恩山宗延寺の次は、同じ日蓮宗の大きな寺院を訪れてみました。地元の方には有名なようですが、僕は初めてこの大きな寺院を知りました。

あのドラマにも登場したやくよけ祖師の妙法寺

 実は宗延寺のあと、同じ日蓮宗の如説山修行寺に寄ったりして、どこか谷中の日蓮宗寺院を歩いてるような感覚で、日圓山妙法寺にたどり着きました。まず目に入ってきたのが仁王門です。訪れた日が10月11日で、次の日12日と13日が宗祖報恩お会式のようでした。報恩とは、祖師の恩を感じて法事をおこなうことみたいです。

妙法寺 仁王門前
妙法寺 仁王門前

 仁王門をくぐると大きな立派な祖師堂がありました。右側を見るとピンクと白の提灯に囲まれて、いい感じの古さの鐘楼もありました。妙法寺は厄除けの寺院で、元々は真言宗の寺院で径覚が日蓮宗に改宗し、日逕と称して、寺院名を妙法寺に変えて、日逕の母、日圓法尼に因み日圓山として開山した寺院です。あくまでも僕の感じるところですが、日蓮宗はどことなく真言宗に近く、どことなく天台宗にも近いので親しみが持てます。祈願や願いをかなえるというところで共通点があります。

妙法寺 祖師堂
妙法寺 祖師堂

妙法寺 鐘楼
妙法寺 鐘楼

 さらに奥に進み渡り廊下をくぐると、本堂がありました。ちょうど、僧侶が数人でお経を唱えており、僕にはどんな内容のお経を唱えているのかわかりませんが、聴いていると心地よい気持ちになりました。本堂の中のが金色に装飾されて遠くから見ても絢爛豪華でした。妙法寺のサイトの本堂の写真と全く同じ構図ですね。決して真似たわけでなく、一番見栄えの良いところで同じ構図になったかと思います。ただ焦点距離はちがう感じで、僕は35mmで撮影で、妙本寺のサイトの写真は50mmで撮影したものかなと思いました。

妙法寺 本堂
妙法寺 本堂

 次は、あのドラマにも登場した日朝堂です。僕が訪れた日は10月11日で、3日後の10月14日放送の相棒第1話「フランケンシュタインの告白」で日朝堂が映り出されました。物がいろいろ片付けられて灯篭を置かれて雰囲気が少し違くなっていましたが、それなりの時間映っていましたので気がつきました。中をのぞかなかったのですが、日朝上人御尊像がおられたのでしょうか。両目を失明したが、法華経信仰により眼病快癒(がんびょうかいゆ)した日朝上人は、目の神様と呼ばれ、眼病平癒(がんびょうへいゆ)のご利益があるようですね。

妙法寺 日朝堂
妙法寺 日朝堂

 日朝堂の右横の渡り廊下を渡ると、二十三夜堂があります。二十三日の夜、月待をすれば願い事が叶うという信仰があるようです。お堂の前に願いを書き留めるノートがおいてあり、願いを書くようになっています。僕はいつも願い事がなく、寺院で困る場面がおおいです。食べることができ、写真を撮ることができ、音楽を作ることができ、彼女と一緒にいれるだけでいつも阿弥陀如来に感謝をしているので、特に願い事がないのです。

妙法寺 二十三夜堂
妙法寺 二十三夜堂

東京都杉並区堀ノ内3-48-8

 

本当に西方に極楽浄土がある西方寺

 次に訪れた寺院は、浄土宗松苔山峯巌院西方寺です。芝の増上寺の末寺だったようです。御本尊は、阿弥陀如来になります。

西方寺 山門
西方寺 山門

 西方寺になぜ訪れてみたいと思ったかというと、増上寺の末寺というのもありますが、【西】という漢字に注目すると、西の方向には極楽浄土があり阿弥陀さまがおられる方向だからです。お彼岸の時期がありますが、その時期はちょうど太陽が沈む方向で、極楽浄土の位置がわかるときだからお彼岸(あちらの世界)というのだそうです。こっちの世界は此岸(しがん)といいます。

西方寺 言葉
西方寺山門にあったお言葉

 それならば、西方寺の阿弥陀さまは西の方角に置かれているのかが気になります。本堂の中には入ることはできませんでしたが、寺院の向きで配置の方向がわかります。iPHoneの方角アプリで、方角を見てみました。本堂の入り口は真東を向いており、配置されている阿弥陀さまは真西にいることが想像できました。【西】とつく寺院は、浄土宗浄土真宗の寺院がおおいような気がします。また、その他の宗派でも御本尊が阿弥陀如来であることがおおいですね。

西方寺 本堂
西方寺 本堂

 西方寺ですが、不思議なことがひとつあります。それは豊臣家の家紋が掲げられていることです。浄土宗というと徳川家康を思い浮かべますので、葵の家紋が掲げられていることが浄土宗寺院には多いです。西方寺の開基は、徳川秀忠の三男、徳川忠長で彼の母江(ごう)は、徳川秀忠と結婚する前は、豊臣秀勝と結婚していました。寺院院号の峯巌院は忠長の法号です。忠長は徳川家光の弟で、幕府による大名廃絶政策による改易になり、28歳のとき自刃しました。こうみると、徳川幕府や葵の家紋には親しみなどなく、母の前の結婚相手の豊臣家のほうが親しみがあったのかなと考えてしまいます。

西方寺 豊臣家家紋
豊臣家の家紋が掲げてある西方寺

東京都杉並区梅里1-4-56

 

 最後に高円寺の寺町は、明治大正の街作りの変容の中で移転してきた寺院が多かったですが、元々この地にあった寺院もありました。いつもそうなのですが、寺院は何百年という歴史を持って、現在も至る所に存在をしています。廃寺になってしまった寺院もありますが、長い月日を見続けてきた寺院を訪れて撮影することで、僕はどこか懐かしさを感じながら、昔の時代に来ているような感じになります。撮影の技術をあげるために、寺院撮影をはじめたのですが、今では撮影を楽しみながら、寺院や仏さまに感謝しながら楽しんでいます。寺院撮影はまだまだ続きますので、次回の記事を楽しみにしてください。

 

スポンサードリンク

杉並高円寺の寺町をゆく 前編
MVNOに新規契約してから1ヶ月使用してみて

コメントを残す

メールアドレスは公開されませんのでご安心ください。
* が付いている欄は必須項目です。必ずご記入をお願いします。

CAPTCHA