千葉市川 真間山弘法寺

千葉市川にある日蓮宗真間山弘法寺を訪れてみた

2017年もたくさんのお寺を訪れて撮影していく予定です。2017年は、元日は毎年この日に訪れる千葉松戸にある浄土宗仏法山東漸寺と、千葉君津にある真言宗智山派鹿野山神野寺を訪れました。2016年は重複もありますが、97か所お寺を訪れました。

いろいろな被写体を撮影しますが、お寺を撮影することが一番多いです。そして、関東のお寺を訪れて撮影することをテーマにしています。今回は、千葉市川にある日蓮宗真間山弘法寺(ままさんぐほうじ)を訪れてみました。今回の撮影機材は、Nikon D810+AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VRです。さて、どのようなお寺だったでしょうか?

日蓮宗真間山弘法寺について

元は奈良時代、行基(ぎょうき)が手児奈(てこな)の霊を供養するために、求法寺として建立(こんりゅう)したのが始まりです。平安時代に、空海が寺院整備して弘法寺と改称します。そして天台宗に改宗します。鎌倉時代に、富木常忍(ときじょうにん)により、日蓮宗に改宗しました。

千葉県は、行基が建立したというお寺が結構あります。行基の名前は歴史の教科書で見ることはありましたが、お寺を訪れて撮影するようになって行基という人を実感するようになりました。

結構改宗することがあることは、お寺を訪れて知るようになりました。特に歴史のあるお寺はよくあります。以前訪れた千葉鴨川にある千光山清澄寺は、元々天台宗で、真言宗に改宗し、その後日蓮宗になりました。江戸幕府の政治的な影響で、東京目黒碑文谷にある円融寺や東京台東谷中にある天王寺は、逆に日蓮宗から天台宗に改宗されたお寺もあります。谷中の天王寺は、日蓮宗の時代は感応寺と呼ばれてました。

まずは真間山弘法寺を訪れてみた

今回訪れる真間山弘法寺を中心に訪れた場所と道順の地図です。本当なら、下総国分寺や国府台のほうや、真間から菅野方向へ歩きながら、黒松を見てみようと思いました。しかし、当日はだんだん曇りになり、風が強くなって寒くなったので断念しました。

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真間山弘法寺を訪れる前に、ちょっとアイ・リンクタウン展望台に寄りました。この日は、天気が悪かったため富士山を見ることは出来ませんでした。45階からの高さから見る風景は、遠くまで見ることができ、いつも見ることができない街並みを見れ感動をしました。天気がいい日にまた来ようと思いました。ここ場所だけ、Nikon D810+TAMRON SP AF70-200mm F/2.8 Di LD [IF] MACROで撮影しました。

アイ・リンクタウン展望台

アイ・リンクタウン展望台を後にして、国道14号線の千葉街道のほうへ向かい、真間山弘法寺の参道の入り口に着きました。ここから約1kmをほぼまっすぐの道を歩くと、真間山弘法寺に着きます。

千葉市川 真間山弘法寺

古くは、市川真間は近くまで入江が迫って海が近くで、松並木が美しい海岸地帯だったようです。まっすぐまっすぐ進んでいき、京成線の踏切を越えて真間川の橋を渡ると、真間の継橋(つぎはし)が見えてきました。

真間の継橋

真間の継橋を後にして少し歩くと、右手に手児奈霊神堂へ向かう参道があります。後で訪れることにしてまっすぐ進み、真間山弘法寺の山門にたどり着きました。仁王門が上の方に見え、長い階段が続いていました。いろいろなお寺を訪れているので、このくらいの階段を登るのは平気です。

千葉市川 真間山弘法寺

以前訪れた山梨県南巨摩郡身延町にある、身延山妙法華院久遠寺の階段は、もっと段数があり急でした。

山梨身延 身延山久遠寺

さて、真間山弘法寺の階段を登りきり、振り返るとアイ・リンクタウンの建物が遠くに見え、今まで歩いてきた道が遠くまで見えました。昔は海が見えたようですが、今は全く見ることはできません。

千葉市川 真間山弘法寺

階段を登りきった所に大きな仁王門がそびえていました。赤い色は色褪せていましたが、その状態が歴史の重さを感じさせました。

千葉市川 真間山弘法寺

合掌一礼し仁王門をくぐると、2本の木の間に少し真新しい祖師堂が見えてきました。手水舎(てみずや)で身を清めてから、祖師堂にいる日蓮聖人に合掌しご挨拶しました。

市川 真間山弘法寺 祖師堂

次は、本殿に行きそこでも合掌しご挨拶をしました。ここでは、一尊四士霊像が安置されているようです。一尊は釈迦如来、四士は脇侍の四菩薩のことで、上行(じょうぎょう)菩薩、無辺行(むへんぎょう)菩薩、浄行(じょうぎょう)菩薩、安立行(あんりゅうぎょう)菩薩です。

市川 真間山弘法寺 本殿

ちょっと気になる赤門があったので、行ってみることにしました。朱雀門(すざくもん)です。

千葉市川 真間山弘法寺 朱雀門

赤い朱雀門をくぐると、真間道場、太刀大黒尊天が祀られている大黒堂、里見龍神堂がありました。

千葉市川 真間山弘法寺 真間道場

千葉市川 真間山弘法寺 大黒堂

客殿の前に来たら、梅が咲き始めていました。季節は少しずつ春に向かって進んでいるんだなと感じました。

千葉市川 真間山弘法寺 客殿

なかなか古い形の鐘楼堂がありました。末広がりな感じがいいです。

千葉市川 真間山弘法寺 鐘楼堂

寺領内をゆっくり歩き、いろいろ感じながら真間山弘法寺を後にしました。

千葉市川 真間山弘法寺

真間山弘法寺

美女伝説の手児奈霊神堂を訪れてみた

真間山弘法寺から来た道を少し戻って、左手に手児奈霊神堂があります。奈良時代に行基が、手児奈を供養するため、求法寺を建立し、その後最終的に日蓮宗真間山弘法寺が手児奈を祀っています。鬼子母神と同じように、不思議な場所でした。

手児奈霊神堂

下記が美しい娘「手児奈」の伝説です。

昔々、手児奈(てこな)という大変美しい娘がおりました。上品で満月のように輝いた顔で、どんなに着飾ったお姫さまより、清く美しい娘でした。手児奈のうわさを聞きつけ、里の若者、国の役人、都からの旅人までやってきて結婚を迫りました。手児奈はすべての申し出を断りました。

 

手児奈は、「私の心はいくらでも分けられるけれど、私の体が一つ。誰かのお嫁さんになれば、他の人たちを不幸にしてしまうでしょう。」と思いながら、真間の入江まで来た時、ちょうど真っ赤な夕日が海に落ちようとしていました。

 

手児奈はそれを見て、「どうせ長くもない一生です。わたしさえいなければ、けんかもなくなるでしょう。あの夕日のように、わたしも海へはいってしまいましょう。」 と、そのまま海へはいってしまいました。

 

追いかけてきた男たちは 「ああ、わたしたちが手児奈を苦しめてしまった。もっと、手児奈の気持ちを考えてあげればよかったのに。」 と思いましたが、もう、どうしようもありませんでした。

 

翌日、浜にうちあげられた手児奈のなきがらを、かわいそうに思った里人は、手厚くほうむりました。

昔の人は、すごく積極的で、美しいものに対してすごく情熱的な男性が多かったのでしょうか?現代の男性とは違うなと感じました。現代の女性を見て、手児奈のような気持ちを持った女性もいないように感じました。

手児奈霊神堂

お寺なのか神社なのかわからない場所ですが、手児奈の霊を大切にしていることを感じられる場所でした。

手児奈霊神堂

手児奈霊神堂

日蓮宗真間山弘法寺のまとめ

奈良時代に行基によって建立されたお寺から、改宗してと長い歴史のある真間山弘法寺を訪れることができてよかったと思いました。その土地に昔からあるお寺を訪れることによって、その土地の歴史も尾を知ることが出来たり、昔の人がどんなことを考えて生きていたことがわかったりすることができました。

いろいろな日蓮宗のお寺を訪れて思うことがあります。それは、訪れることが楽しいと感じることです。今度は、以前も訪れたことがある法華経寺を再び訪れてみようかなと思っています。また、宗派を問わずお寺を訪れて撮影をしているので、撮影記事を書いていきたいと思っています。最後まで読んでいただきありがとうございました。

千葉市川 真間山弘法寺

日蓮宗真間山弘法寺

真間山弘法寺

手児奈霊神堂

手児奈霊神堂

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